明治初期古文書医学書●明治4年 布列斯解剖書 骨論 77丁 東京医学病院 原祐民先生謄写蔵書 長野県伊那市 231214 小売

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日本醫籍録 第1版(醫事時論社, 1925)の中に「原祐民」という記載があり長野県の西春近村出身で、天保八(1837)年生まれとあります。現在の長野県伊那市になります。地元では医学者として有名だということです。
初代陸軍軍医総監になった松本良順の配下にあって、明治2年に早稲田に開院された西洋式病院の蘭疇院に勤務し名称が東京医学病院(東京大学医学部の前身)に変わった時にも医師として勤務されていました。
布列斯の読み方が判りません。ブレストと読むのでしょうか。外国人お雇医師の名前の当て字です。満氏口授 長崎養生所(ながさきようじょうしょ)は、1861年(文久元年)9月に長崎で開院した江戸幕府(長崎奉行管轄)の病院・医療施設である。正式名称は「養生所」。この記事では前身である「医学伝習所」(いがくでんしゅうじょ)、後身機関である「精得館」(せいとくかん)についても扱う。養生所は日本最初の西洋式近代病院として知られる。幕府に招聘され医学教育を行ったオランダ人医師ポンペの進言により設置され、所内には医学生の教育を行う「医学所」が併設された。のち両者は「精得館」として統合された。明治期になって長崎府医学校病院と改称され、長崎医科大学(現 長崎大学医学部、および長崎大学病院)の源流となった。精得館の理化学部門は、大阪舎密局となった後、理学校となり第三高等学校(京都大学の前身校)の源流となった[1][2]。出典:ウィキペディア
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